こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

ケンちゃんのレビー物語

何時まで一緒に暮らせるの?

基本的には、お宇宙(そら)に昇るその時まで可能です。

ただ、それぞれの家庭にそれぞれの環境が存在すると思います。
家族それぞれの生活環境等々…。
介護保険をフルに使っての別居介護や遠距離介護も可能です。
施設に入所なさるのも有りだと思います。
家庭を壊してまで、家族がバラバラになってまでの無理な介護はしない方が良いと思うのです。
お互いに安心して穏やかに生活できる環境が必要ではないのでしょうか。
離れて居ても、毎日会えないとしても、気持ちがあれば愛があればそれで良いのです。
私はその様に考えています。
一緒に居ても毎日顔を会わせていても、心が無いのであれば愛が無ければ、それは良い環境では無いのだから…。



我が家の場合は、私が決めました。
夫が「お前が納得のいくように決めなさい」と言ってくれたので、お言葉に甘えて自宅で最期を見届ける事に決めました。
今現在以上の延命(胃瘻&導尿)はしないつもりでいます。




第一回Dr.コウノの勉強会のスライドの中に「レビー小体型認知症の看護・介護の心得」として、

 中枢神経系の薬で副作用が出やすいので、処方の種類や容量をよく考え、日々微調整し、薬剤による改善の可能性を簡単にはあきらめないこと。

 進行が早いので、薬物療法の限界をわきまえ、転倒・窒息の事故を予防するために、アルツハイマー患者の3倍の手間をかけてお世話する。

 医師は、胃瘻(PEG)をタイミングよく増設し、家族に患者の死期を悟らせる様に説明してゆく。

と、書かれたいました。

勉強会は基本的に医療関係者が対象なので、介護家族にはちょっぴりショッキングかも…。

特にDLB末期のターミナル期まっただ中の父を介護中の私には、石で頭を思いっきり殴られた位にがぁぁぁん!だったのですが、発症してから10年目に突入ですからある程度の覚悟は出来てます。
最初の説明時に「発症して10年以上生存したデータはありません」と言われていたので…。
その時は「そんじゃあ父が10年以上のデータを作ってあげましょう」位の意気込みでしたが、今は自信はありません。。。

父は2006年8月に起立性低血圧が悪化し、数分の間にも血圧が急降下してしまい意識が無くなってしまう。
最悪、呼吸停止に至こともある為、座位が保つことが出来ず食事が困難のなってしまい胃瘻造設術に踏み切りました。
また、起立性低血圧で時間のかかる滴下栄養は無理な事と、当時母の認知症状(かなり深刻な状態だった)が今後悪化する可能性を考慮して、私の負担を軽くするという理由で短時間で注入可能な固形化栄養になりました。

そうこうして、今日に至ります。


DLBを発症してから10年目。
とっくに終末期に突入なのでしょうが、父は踏ん張ってくれています。
なので、エピローグはまだ先ということで……。

ですが、11月の第二階勉強会の演題が『認知症の早期発見から重症患者のケアまで』という事ですので、勉強会が終わったらまた続編を書こうと思っています。
それまで「ケンちゃんのレビー物語」も小休止とさせて頂きます。

それまでの間はリアル・ケンちゃん&こぶたのお間抜けな暮らしぷりを綴っていきますですよぉぉ!



なので一応 つづく なのです。

お家で介護は可能なの?

DLBの患者数は2002年の統計では認知症患者の16.7%とアルツハイマー型、脳血管性認知症に次いで第三位であったが、小坂憲司先生の統計の推移では2008年にはDLBは全体の21.9%と脳血管性認知症を抜き、第二位となっています。


また、DLBのケアも重要なのです。
何故ならば転倒しやすく早期に寝たきりになる確率が、とても高い事があげられます。
転倒頻度に関しては、アルツハイマーの10倍とも言われています。

前回も記したようにレビーにはバリエーションがあります。


薬剤過敏の強いタイプ
●風邪薬や睡眠薬で起きなくなってしまう。
●アリセプト、パーキンソンの薬も吐き気などの副作用で飲めない。

薬剤過敏の弱いタイプ
●アリセプト5mgでも大丈夫。

典型例
●認知症状、幻視、パーキンソンニズム。

アルツハイマータイプ
●パーキンソンニズムが少ない(全くない場合も)
●認知症状が強い。

パーキンソンタイプ
●認知症状が少ないが幻視等があり、注意力散漫。
●パーキンソンニズムが強い

と、大まかに分けられる様です。

ただ、あくまでも私の考えですが、もっと細かく分けたならレビーの症状は十人十色で個々に現れる症状は微妙に違ってくると思われます。
よって、それぞれのタイプや各々の症状によって薬の処方も違ってくるし、ケアも変わってきます。


とにかく、介護する家族にとっては介護しやすくして欲しいと願うのが一番になります。
なのでコウノメソッドを実践してくれる医師を探す事となるのです。
現在Dr.コウノの認知症ブログで公表しているコウノメソッド実践医を調べて下さい。また、公表はしていなくても「認知症を学ぶ会」のサイト掲示板からDr.コウノに最寄りの実践医を尋ねることもできます。


早期発見、適切な投薬でレビーは進行を抑える事が可能です。
たとえレビーと診断されたとしても、適切な投薬をしてもらえたなら少しでも家族と長く普通に生活が出来る事が可能になるのです。
もし、コウノメソッド実践医に診察してもらえないとしても、適切な投薬を実行することは出来ると思います。
介護家族であるあなたがコウノメソッドを熟知することです。
レビーという病気と適切な投薬の知識を持つ努力をして欲しいのです。

Dr.コウノがコウノメソッドを作り上げた陰には処方された薬を包丁で切り刻み微調整した介護家族の愛があります。
コウノメソッドは、家族の愛と家族の声に耳を傾けて下さったDr.コウノの熱意で出来ていると思っています。
勉強会ではDr.コウノはこの愛情いっぱいの娘さんの事をユーモアたっぷりに「隠れキリシタン(隠れ切リシタン)」とおっしゃいました。(笑)



父は「びまん性レビー小体病」と診断された時にコウノメソッドを知っていたら。
フェルガードがあったら。
そして、なにより私にもう少し知識があったならと悔やんでみた所でしかたありません。

最初私は父が診断された「びまん性レビー小体病」と、昨今騒がれているレビー小体型認知症とはちょっと違う気がしていました。


「びまん性レビー小体病」とは、
●遺伝性が無く、男性に多い病気。
●記憶が低下するより注意力散漫になる。
●脳の萎縮、知能低下はさほど見られない。
●幻視、幻聴がある。
●歯車様筋固縮、小刻み歩行などのパーキンソンニズムで転倒しやすい。
●自律神経障害からくる体幹傾斜、起立性低血圧。
と主治医から説明をうけていました。

確かに父はデイサービスで時々行う計算ドリル(簡単な計算)や漢字の書き取りなどは何時も満点でした。
知能の低下は無かったと思います。

時折フリーズしたりスイッチがOFFになる事はあったが、普通に会話もしていました。
幻視は自分にだけ見えている事も父なりに理解していて、恐怖は感じては居なかった様子だったのです。
なので私はレビーが認知症だという観念は持っていませんでした。

しかし、起立性低血圧を起こし急に外界との接触が少なくなった途端に、父の病状は急速に進行したように思います。
認知症状もこの頃からチラホラと出始めました。
視線を合わせなくなり、視点も合わなくなって来たのもこの頃からだったと思います。
ひとつの事に執着したり(立てなくなってからは靴下に執着)、
自分の年齢があやふやになりだし、娘の私はいつまでも幼児と思い込む時がありました。
必然的に現在のおばちゃんになった娘の私は父にとっては「何処のおばさん?」てな反応に至る事が増えて来たり…。

ここに来て初めて認知症なのだと悟ったのです。(遅っ、鈍っ)

当時はアリセプト3mgが処方されていました。
飲み始めて少しの間は会話も増え喜んでいましたが、直ぐに大量の涎が出始めました。

その頃に初めてDr.コウノの認知症ショートストーリーに出会いアリセプト少量説を知る事となるのです。




ぼちぼちとやってますが、まだまだつづくです。
めんどいけど、付き合ってね。

レビーは、治らないの?治療法は??

アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症。
認知症大御所三人衆です。
どれをとっても特効薬はありません。
悲しい事に認知症は完治する事のない、現時点では不治の病なのです。



父がレビーを宣告された時、今後の父の病状の経過として説明された事柄は、

発症から5~7年で寝たきり、7~10年で死に至ること。

発症してから10年以上生存した症例は無いと思われること。

ただしレビー小体病で死亡する事は無く、誤嚥性肺炎や心不全等による死亡であること。

病院や施設に入ったら父の余命は年単位ではなく、月単位の生存確率になると説明されました。

父はその時点で少なくとも発症してから4年以上経過していたのです。
医師の説明道理にそれから数ヶ月で父は立ち上がる事が出来なくなってしまいました。


けれど、
認知症治療は日々進化しています。
研究が進み、なんと言ってもDr.コウノが認知症治療術を進化させてくれています。



DLBと一言で言っても、レビーにはバリエーションがあるのです。

アルツハイマータイプ

パーキンソンタイプ

それとDr.コウノの造語である大声で叫ぶタイプのピックタイプです。

タイプ毎に薬の処方も変わってくるのです。
それがDr.コウノが作り上げた
認知症薬物療法マニュアル「コウノメソッド」なのです。


6年後にはアルツハイマーの予防ワクチンが実用化されるのだそうです。
それまではフェルガードが医師にとっての福音であり、患者によってはワクチン以上のものである可能性があるとまでDr.コウノはおっしゃっています。



父は4年前にレビーと診断されていましたが、治療法もなく神経内科の主治医は少しでも動けるようにとパーキンソン治療薬のネオドパゾール、グラマリールが処方されていました。
また、泌尿器科からは前立腺肥大の薬であるアビショットという薬が、とんでもない事態を引き起こしたのです。
起立性低血圧です。
最初に起立性低血圧が起きたのは、当時通っていたデイサービスで起きました。

父の生あくびに気がついてくれ、すぐに血圧を測ってくれたスタッフのおかげで失神する事は免れました。
その後、何度も失神を繰り返し、酷い時は呼吸が止まった事もあったのです。
おかげさまで?一日に二回も救急車に乗った事もありました。

もちろんデイサービスでも受け入れ困難ということで、父は外界との接触は往診、訪看、訪問入浴等の介護サービスだけとなってしまいました。

24時間、365日休み無く続く介護に私自身が心身崩壊の危機に見舞われたのも、ちょうどこの頃。
下痢が続き最終的には下血して夜間救急のお世話にもなり、下血している人を家に帰す訳には行かないので、速攻入院ということもありました。
夜中にパニック発作を起こし過呼吸で苦しんだ事もあります。
それでも父のお世話を私の代わりにしてくれる者はいません。
「もうダメだ~!!」と根を上げそうになった時、父を受け入れてくれるショート先が現れました。
そこのショートが名乗りをあげてくれなかったら、今の在宅介護は継続していなかったかもなのです。


つづく

レビーって…なんじゃらほい!

レビー小体型認知症(びまん性レビー小体病)とはレビー小体(Lewy Body)が、脳幹、大脳皮質に発生したことにより発症する変性性認知症である。

そう言われたって、医学の心得もない者にはチンプンカンプンだと思うの。
それって、私だけ??

要するに前回で言ったように脳内で悪者と戦ったであろうレビー小体が、脳全体に居座っちゃったってことなのだ。

そのレビー小体が
脳幹(生命維持機能や自律神経機能を司る)と、
大脳皮質(知覚、随意運動、思考、推理、記憶等の脳の高次機能を司る)
に居座って悪さを仕掛けてくるのです。
脳幹のレビー小体は自律神経に障害を起こします。
その為に便秘、発汗過多(寝汗をかく)、あぶら顔、起立性低血圧(立ち上がると血圧が下がる)
他には、
姿勢異常(猫背、肘や膝が屈曲、)
突進現象(最初の一歩がなかなか出ないが、ちょっと押されただけで踏みとどまれずに突進していく)
歩行障害(小刻み歩行、歩行時に自然に腕を振らない、狭い場所での方向転換が出来ない)
精神症状(抑うつ的、億劫がり依頼心が強くなる、不眠)
他には動作が遅くなり姿勢反射障害のために姿勢がくずれると立ち直れず転倒する。

等々の症状がでます。
脳幹だけの症状だとそれはパーキンソン病の可能性が高いです。
ところがレビー小体が大脳皮質にも発生したら、認知症状がでます。

典型的な症状
幻視、幻聴(幻覚とは違い等身大の動物や人間のリアルな幻覚)
無反応
無秩序な態度
睡眠障害、せん妄
薬剤過敏


他の認知症状
時間と場所の認知障害
気分、態度の変化
判断力、分別、見識の現象
独創力、統率力の欠如
注意力散漫、記憶の混乱

等のありとあらゆる症状が出ます。
なので、レビーを熟知してない医師による誤診がおきるのです。
認知症状はあるが、脳の萎縮が軽く、うつ表情だと「鬱病」と誤診されることもある。
パーキンソンニズム(すくみ足、小刻み歩行)が強いとパーキンソン病や脳血管性のパーキンソン症候群等々。
そうやって間違った薬が処方される事となると、薬に過敏なレビーは悪化していくのです。


父はパーキンソンニズムが強く出ていました。
幻視は猫やネズミが居ると言っていたのですが、「とぼけた爺さんキャラ」だったため私達家族はあまり気にしていませんでした。
なので、最初の検査で小さな梗塞が二つ見つかったので『多発性脳梗塞によるパーキンソン症候群』と言われて納得してしまったのでした。
しかし歩行がだんだんと怪しくなり、小刻み歩行や突進現象が現れ、手引き歩行でトイレに行っていたのですが、トイレの中で方向転換が出来なくなりました。
「右の回るんだよな〜」と口で言っていても、その場で足踏みするばかりで体は回っていきませんでした。
毎日トイレの狭い空間で父と抱き合ってダンスをしているようでした。
最初は笑っていましたが、毎日何度も繰り返すうちに堪え性のない私は腹が立って来ちゃいます。

そんなある日、父が熱を出しました。
救急外来に連れて行った時に看護師さんに「お父さんは何時からこんな様子だったの?」と尋ねられました。
“こんな様子”の意味はすぐに理解できました。認知症の症状は何時からかということです。
「もともとトボケた爺さんだったので、何時からかは分かんないんですよね〜」
と、私は至って真面目に答えたのですが、大爆笑されました。

父に認知症状が現れだして初めてちゃんとした病名をと思ったこぶただったのです。
レビー小体病と聞いたって、それってなんじゃらほい?の私は、まずはネットで調べました。
けれどヒットしたどれもが、医師から受けた説明と同じかそれ以下の内容でしかありませんでした。
考えあぐねた結果が、ホームページを立ち上げる事だったのです。
こちらからアプローチしたら誰かが情報提供してくれるかも?

独学で本を片手にタグ打ちして作ったHPが、今は少々ほったらかし状態の「こぶたのきもち」でした。



まだまだつづくよ。

プロローグ

札幌での勉強会の続きですが、なが〜いお話しになりそうです。
父の事とも照らし合わせて書いて行こうと思っています。
このブログを見るかもしれないレビーの介護家族の方の少しでもお力になれればとの思いで、私の言葉で書こうと思っています。
脳味噌ゆるゆるのこぶたの言葉なので、オバカ丸出しなのですがご了承くださいませ。



勉強会の前半は「アルツハイマー型認知症」を徹底的に知るということでした。
基本的に医療従事者向けの勉強会なので、CT、MRIを撮らなくてもアルツハイマー型と分かるようになる。
すなわちアルツハイマー型認知症を知る事が、認知症医療の基礎なのだそです。
私にとっては母の事もあり、興味深いお話でしたが、私の隣に座っていた「居眠り娘」には興味の無いお話だったのかもね。

休憩を挟んで後半は「レビー小体型」のお話です。

発症の原因等はまだはっきりと分かっていないのが現状の様ですが、東京都精神医学総合研究所の秋山治彦先生は、アルツハイマーの原因だといわれている神経細胞を死滅させる軍団や老人斑をレビー小体が封入するのではないかと仮説しています。
アルツハイマーの悪者と戦わなかった脳がアルツハイマーになり、悪を封じ込めようと戦った脳が封入体であるレビー小体によりレビー小体病になると…。
レビー小体の形成は、神経細胞生き残りのための努力の痕跡なのかもしれないそうです。

一生懸命戦っていても封入しきれないまま発症するとアルツハイマータイプのDLBになるのでは?
とコウノ先生も言っておられました。




父の場合は病院選びや、何科を受診すれば良いのかを悩みました。

当時両親二人で暮らしていたので状況を把握するのに時間がかかりました。
父の異変を目の当たりにしたのは、内科で処方された抗鬱剤が原因で立ち上がれなくなった事。
それでも父はトイレに行こうと伝い歩きトイレの前で失禁し意識を失ったのです。
病院に搬送される救急車の中で救急隊員から初めて「パーキンソン」という病名を問われました。
「お父さん、パーキンソン病って言われた事はないの?」と
その事を父が胃がんの手術以来かかっていた内科の医師(抗鬱剤を処方した医師)に告げると、神経内科に回されました。
そこで「多発性脳梗塞によるパーキンソンニズム」と診断され、後に抗パーキンソン薬が処方されました。
父は転んだ事も引き金になり、歩行が困難になり車椅子生活になりました。
それでもその頃の父はおやじギャグを飛ばし、一緒にお笑い番組をみて笑い時折幻視もありましたが幻視は父自身にしか見えていない事を理解していました。

でも、はっきりした病名がつけられない事が私には不安でどうしようもなかったのです。
神経内科の医師(現在の主治医です)に何度も食い下がりました。
あれやこれやの検査の結果医師から告げられたのが「びまん性レビー小体病」の疑いがあることでした。
ほぼ99%レビーと告げられました。(後の1%は解剖しないと決定できません)

今から4年程前の事です。
病名を告げられて安心するどころか、ここからがレビー三昧な私の生活の幕開けでした。
つづく



今日は此処で終わりますが、
まだまだ続きますので覚悟して下さいませませ。
間にくだらない記事も挟まるかもです。。。
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