こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

ケンちゃんのレビー物語

0215 あの日のこと…(エピローグ)Ⅱ

DICと聞いても、さほど驚かなかった。
以前にも血液内から菌が検出されて敗血症ですと言われた事があったが、父は奇跡?の生還を遂げた経緯があったからだ。

でも、今回は違った。


あの日は午後から父の所へ行こうと考えていた。
先ずは母と夫の夕飯の準備をしなくてはと思い、常備菜を作ろうと卯の花煎りを作り出した。
後もう少しで水分が無くなると焦げ付かない様に煎っていたその時だった。電話が鳴った。

父の容態が変わったので医師からお話があるので病院に来て欲しいとの内容だった。

卯の花煎りも中途半端で、火の始末だけして家を飛び出した。
病院に着くと父はもう救急病棟から個室に移されていた。
看護師の話では、酸素も下がり呼吸がおかしくなったので部屋を移しましたと説明された。
私が到着した時は、父は昨日と変わった様には見えなかったが酸素は80%と70%代を行ったり来たりしている状態だった。
すぐに担当医のH医師が来て、会わせたい人に連絡して下さいと告げた。今夜までもつかどうかと…

深呼吸をしてから、まずは母のデイサービスに電話を入れた。母は買い物外出に出ていたが引率の方に直ぐに連絡を入れてくれて、病院まで連れて来てもらえた。
姉の職場ににも電話を入れた。
本来なら交代の人が来てくれるまで職場を離れられないのだが、運良く先にあがった人がまだ帰らずにいたので直ぐに病院に駆けつける事が出来た。

前日の父は呼び掛けに目線をしっかりと返していたのだが、あの日の父は荒い呼吸で虚ろな目をしていた。
でも、母も姉も私も誰もが医師が告げた「今夜」という言葉は信じていなかった。
少なくとも数日の長期戦になると勝手に信じていたのだ。
仕事が忙しく連日遅い帰宅だった夫だが、足(車を運転する人が誰もいないのだ)が無い私達の為に早々に退社して来てくれた。
夜は私と姉が泊まる事にして母は家でゆっくりと寝て、次の日の朝に夫に連れて来てもらう事にした。
私も着の身着のまま家を飛び出して来たので着替えて来る事にし、父を姉に任せて一旦帰宅した。

早々に着替えを済ませ、今度は職場から直行した姉を帰し長期戦に備えて買い物もお願いした。
私は父の手を握り声を掛け続けた。
その時に父から便の臭いが漂い出したのだ。
ナースコールをしてオムツ交換をお願いした。
交換の間廊下に出ている様に言われたので廊下にいると「最寄りの駅に着いたので、これからタクシーで向かう」と姉からメールが来た。「お父さんは、どう?」と最後にあったので、「お父さんは頑張っています。気を付けて来てね」と返信し携帯をバックに入れたと同時に看護師が呼びに来た。


「呼吸が止まりそうです」と…


慌てて病室に駆け込んで「お父さん!」と父の手を握った。
父の呼吸は大きく喉を鳴らして体全体で吐き出された。
同時に姉が駆け込んで来た。
「呼吸が止まりそうなの」やっとの思いで姉に告げ、夫に母を連れて来る様に電話をした。
病室に戻り姉と父の手をギュッと握り声を掛け続けた。
呼吸とは言えない様な小さな吐息を数回漏らし父は呼吸を止めた。
母が到着した時はもう呼吸は停止していた。
だが父は呼吸が停止してからも30分以上もの間、心臓の鼓動を止めなかった。
母はまだ温もりが残る父の手を握り、冷たくなって行く頬を撫で「今までありがとう」と泣いた。
夫も頭を撫でて「義父さん、頑張ったな」と声を掛けてくれた。


2011.02.15 PM8:50 


父は最愛の妻である母と鬼娘二人に、手をギュウギュウ握られ顔を撫でくり回されて旅立って行ったのだ。



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なが〜いお話に、
お付き合いありがとうございました。

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0215 あの日のこと…(エピローグ)

今年に入ってから少しずつ体温が下がって来た。
昔から手足が冷たいので、あまり気にしてはいなかった。
しかし、体温計で計測不能になり出し「」と思い出した。
昨年から2月9日からのショートは決まっていた。
低体温は気になっていたが、前日の往診時に体温以外は異常が無いのでショート出陣に医師からOKが出た。
ただし、血圧が低下する等の異常が見られた時には速やかに救急に搬送する様にと言われたのだ。

そんな言葉を頂戴して出したショートだった。
私なりにある程度の覚悟を決めてショートに出した。止めることも出来たのだが…私は疲れていた。
今さら言い訳になってしまうが…
母のこと、姉のこと、父のお世話。何よりも自分自身をどうにもコントロール出来ない状態だった。
一晩でいいから何も考えずに眠りたいと思っていたのだ。

9日の晩は死んだ様に眠った。
10日の晩は夫の晩酌に付き合い、ほろ酔いでグッスリと眠った。

11日は足りなかったリフラノンを届けに父のショート先を訪ねた。
その時に看護師から尿量が少ないことを聞かされたのだ。水分を多めにして様子を看てもらう様に頼んだ。
10日に入浴して体温も少し上がったと報告があった。
13日の午後4時頃に、12日には尿量が増えたが今日になって朝から50cc以下の尿量で血圧が低くなって来ていると連絡が来た。
夫と共にショート先に駆けつける。部屋に設置されていた吸引機のボトルの中の痰の色を見て愕然とした。
泥の様な色だったのだ。
夫に車椅子と荷物を家に持って帰ってもらい,私は父に付き添い救急車に乗り込んだ。

日曜日の救急外来にはインフルとおぼしき人達でごった返していた。
父より重症な患者もどんどんと搬送されて来ていた。
父はモニターに繋がれ、数値的には体温、血圧、酸素濃度が少々低いが安定しているので後回しにされていたのだが吸痰したら…鮮血が引けて来たのだ。
何度引いても痰よりも鮮血が引けるので、内視鏡で出血を確認し止血すると言う。その時に心臓が止まる可能性もあると医師から言われた。
母にだけでも生きているうちに会わせなければと思い夫に直ぐ連れて来る様に電話をした。
その時に何の気無しに姉の携帯にもかけてみたのだ。
仕事の帰りで自宅近くのスーパーで買い物をしていた。あの日は前がみえない程の猛吹雪だったが、姉は直ぐ行くと言った。
母は内視鏡室に運ばれる少し前に病院に到着し、父と対面出来たのだ。
その時の父は意識もしっかりとして、母の声にもちゃんと反応して母の顔をしっかりと見て内視鏡室に運ばれて行った。
姉は父の治療が終わってから到着したが、父もしっかりと目を開け姉の呼び掛けにも反応していた。

姉が到着する前に医師からの説明があったのだが、胃と小腸より出血があり誤嚥による肺炎と説明されていた。その時は休日当直医が経過を見ますと言われ私と姉は帰宅した。

翌日は午後から私自身の予約外来受診の日だったが、朝から父の所へ行った。
到着すると長年お世話になっている救急の主任医師から手招きされ「話があるけど時間はいい?」と言われ父の顔を見てから直ぐに話を聞いた。
今後の治療の事である。
延命治療については以前のまま考えは変わっていないかと確認された。
今後の治療は輸血や昇圧剤の使用もせず、なるだけ痛みや苦しみは回避して欲しいとお願いした。
先生は毎度、辛い事ばかり問うて申し訳ないと言った。続けて説明された父の状態も辛いものだった。
内視鏡の画像にはショート先で見た泥の様な色の物体が写し出されていた。
肺のレントゲン写真は右肺が真っ白になっている。
父は何故肺炎になっても発熱しないにかと質問すると、低体温は高熱と同様だと説明された。
渡された『入院診療計画書』の病状・病名欄には『上部消化管出血、DIC、誤嚥性肺炎』と記されていた。

明日につづく…



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長くなっちゃったんでつづきは明日に…

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嚥下

父は2006年8月から胃瘻で栄養管理をしている。

以前にも記したが、胃瘻造設は賛否両論だ。

確かに自発的に食べれなくなったら終わりと考えている人達も、間違えではないと思う。延命措置と位置づける人達も居るだろう。
だが、父の様に自ら『胃瘻を造っても、もう少し生きたい』と願う人も居れば、食事もとれずに事実上餓死していく家族を見守るなんて、とんでもないと考える人も居る。

また、せっかく胃瘻造設にこぎ着けても、衰弱し過ぎていて間に合わなかった方や経管栄養剤が体質に合わず下痢等で体力を消耗してしまうとか、もちろん身体に傷をつける行為なので感染症やショック状態に陥るというリスクだってある。

幸いに父の体質にはピッタンコとマッチしたのだが…。
父は胃瘻のおかげで気絶(起立性低血圧の為)すること無く空腹でひもじい想いも無く今日まで過ごしている。
自律神経の症状が強いタイプのレビーの父は、頭を上げると意識を失う位まで血圧が急降下していた。
ただ、起立性低血圧は時期が来ると治ってしまうのだ。
父は最初の意識消失事件から、1年半位経過した頃から長時間の座位を血圧を下げること無く保てる様になって来た。
現在では多少の血圧変動はあるものの、危険な程の血圧低下はない。
季節の変わり目等の多汗の時期は要注意ですが、普段はかえって少々高めの血圧なのだ。

なので、あの時に父の意思確認もせずに母や姉の意見に流されていたら、今頃父はこの世に居なかったことと思う。
そんな事になっていたらと考えると…怖い。
それに経管栄養の方法も、これまた賛否両論の固形化である。やり方はこちらを見て下さい。

固形化と言う方法も父には合っていたようで、普通に滴下すると逆流して嘔吐していたのですが、固形化することで嘔吐しなくなりました。
下痢をしたのは下剤の入れ過ぎ以外は皆無です。
胃瘻にしてからはカロリーコントロールもスムーズ(私もしっかりとカロリーコントロールした~い!)、飲み辛い薬もなんのその。
あれほど苦戦した水分補給だってOS1ゼリーを毎日必要な量をちゅるりんこと入れられる。


PEGや固形化栄養の話もしだすと、父の場合は利点が多く長くなるが、私が今回ここに一番に記しておきたい事は、胃瘻造設から1年半もの間「食べる」行為をしていなかった(座ると意識を失う為に食事が出来なかった)父が1年半ぶりにOS1ゼリーを口にした時は上手に飲み込む事が出来なかった。
いつかは口から食べさせてあげたいと、ずっと続けて来た口腔マッサージの効果も感じられない程に父の嚥下は衰えていました。
しかし、藁にも縋る思いでANM176顆粒を2ヶ月、フェルガード100を飲み始めて8ヶ月経過して、父の嚥下が回復して来た事は疑い用の無い事実なのだ。



そんでもっておまけ

以前にも書いたが、わたしはケチである。
栄養注入に使うシリンジの滑りが悪くなっても力任せに使っている。
そうすると…

天井に前衛的な芸術を描く事もしばしば…( ̄∇ ̄{/大汗/}) ハッハッハッ

以外と家族は天井を見ないようなので、バレていなかったのだが、
一名一匹見つけて、天井見上げてニャァ!と皆にバラした奴が居る…

えっ!



嚥下が良くなって欲しい
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初診の心得

今日はレビーだけじゃなく、認知症全般のお話です。

このお話は、プロローグで書かなくてはならなかった内容です。

追記って事で…(なにせ、おつむも性格もゆるゆるですので申し訳ありません)


認知症を疑い受診する際にはっきりと確認したい事柄として
Dr.コウノが作られたコミュニケーションシートがあります。

クリックで大きく表示します。

これって、凄いと思った。
このシートの中には、初診時に聞きたいことが全部詰まってるから。
初診の時って、先生の人柄もわからないし何を質問していいのかわからない。
最初から事前に認知症の知識を持ち合わせている家族なんて少ないと思う。
そんな時に大いに役立つ一品ですよ。(TVショッピング風味で…)

診断について、「わからない」「今ははっきりしない」と答えて下さる医師は良い先生なのだとDr.コウノは言っておられます。
何故か?
「これは、老化による認知症」と診断する医師はダメなのだと…。
確かに身体的な老化があるように、脳にも老化による衰えはあるのだそうです。
しか~し、家族が病院につれてくる程の症状は老化による衰えなはずは無いのです。
「歳相応のボケですよ」と言われたら、次の病院を探しましょう。
そして、コウノメソッドを読み、適切な治療につなげて行きましょう。


コウノメソッド実践医の紹介はドクター・コウノの認知症ブログフェルガード ドットコムに掲載されています。
また、認知症を学ぶ会の掲示板でも近くの実践医を紹介して頂けるかも。



おまけ

レビーと同様に、新しい認知症として最近耳にする様になったピック病があります。
40〜70歳代で下記の項目に3つ以上当てはまったら要注意です。参考までに。

1  状況に合わない行動
身勝手な行動、状況に不適切な悪ふざけなど

2  意欲減退
原因不明のひきこもり、何もしない

3  無関心
服装や衛生状態に無関心になり不潔になる。
周囲の出来事に興味を示さなくなる。

4  逸脱行為
万引きなどの軽犯罪を繰り返す。反省しない。

5  時刻表的行動
散歩等を決まった時間に行う。止めると怒る。

6  食物へのこだわり
毎日同じもの(とくに甘いもの)しか食べない。
際限なく食べる場合もある。

7  常同言語、反響言語
同じ言語を際限なく繰り返したり、他人の言葉をオウム返し。
静止しても一時的に止めるのみ。

8  嗜好変化
好きな食べ物が変わる。飲酒、喫煙が大量になる。

9  発語障害、意味障害
無口になる。
はさみ、めがね等を見せても言葉の意味や使い方がわからない。

10 記憶、見当識は保持
最近の出来事などは憶えているし、日時も間違わない。
道にも迷わない。



今日のお話、良かったよ♪
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告知

しばらく間が空いてしまいました。
11月8日に第二回Dr.コウノ認知症勉強会を受講し、最先端の認知症治療の状況に触れた事に触発されたのです。(^^
またゆるゆるな内容ではありますが「ケンちゃんのレビー物語」の再開です。



今回のお話はどちらかと言うと医師や施設介護のスタッフ寄りの内容かもしれませんが、家族の思いも挟んで行こうと思います。


認知症を告知する事をどの様に考え受け止めるのか?
家族としては、本人への告知をするべきなのか否か?



これって、個人差があると思うのです。
たとえ認知症であっても、その事をしっかりと受け止めて前向きに対処していける性格の人間かどうか。
自分の人格が崩壊してしまう前に、自ら整理しなくてはならない事柄や資産等のある方。
理由は様々だとは思うが、自分自身が認知症である事を知っておかなくてはならない状況下の方も居るとは思いますが、私個人は告知は家族だけで本人にはしなくても良いと考えています。


河野先生も「告知はしません」と断言しておられました。


告知を行う事で起こりうるリスクとして、以下の事が考えられます。

●抑鬱的になる
●自殺企図の恐れ
●生きる望みを失う



そんなリスクを冒してまで告知する意味はあるのでしょうか?
ただ悪戯に患者を追い詰めることになりかねないと私は思います。


私は父には「レビー小体病」と病名は伝えましたがそれが認知症に属する病気であることも、進行するとどのような状態に至るのかは全く説明していません。
父も尋ねてくる事もしませんでした。
これからも無いでしょう。。。(現在は質問できるような状態ではありません)


何故に告知をしなかったかと言う理由には、父には幻視や物が歪んで見えたり、時折チンプンカンプンな言動はありましたが、知能の低下などは感じなかったので私には父が認知症なのだとは思えなかった事もあります。
他の認知症のように本来の人格が崩れてしまったりすることは考えられなかったのです。
なので告知することは、父を苦しめる事になると思ったからです。


告知に関しては、家族の方が病気の性質を良く知り、本人の人柄や性格と照らし合わせ検討する事が必要と思われます。
それにはやはり認知症を知る事が大切です。
そして、日々進歩していく認知症治療を学んで行かなくてはならないでしょう。


お知らせ 祝! 「認知症を学ぶ会」サイト開設!!


そこで「認知症を学ぶ会」のサイトの紹介です。
まだ、生まれたばかりの湯気が上がっている位ホヤホヤのサイトですが、皆さんが参加する事によって大きく成長していくことと感じています。
全ての介護に関わっている人達で作り上げ、学んで行くサイトになって行く事を願っています。


祝サイト開設!
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