基本的には、お宇宙(そら)に昇るその時まで可能です。

ただ、それぞれの家庭にそれぞれの環境が存在すると思います。
家族それぞれの生活環境等々…。
介護保険をフルに使っての別居介護や遠距離介護も可能です。
施設に入所なさるのも有りだと思います。
家庭を壊してまで、家族がバラバラになってまでの無理な介護はしない方が良いと思うのです。
お互いに安心して穏やかに生活できる環境が必要ではないのでしょうか。
離れて居ても、毎日会えないとしても、気持ちがあれば愛があればそれで良いのです。
私はその様に考えています。
一緒に居ても毎日顔を会わせていても、心が無いのであれば愛が無ければ、それは良い環境では無いのだから…。



我が家の場合は、私が決めました。
夫が「お前が納得のいくように決めなさい」と言ってくれたので、お言葉に甘えて自宅で最期を見届ける事に決めました。
今現在以上の延命(胃瘻&導尿)はしないつもりでいます。




第一回Dr.コウノの勉強会のスライドの中に「レビー小体型認知症の看護・介護の心得」として、

 中枢神経系の薬で副作用が出やすいので、処方の種類や容量をよく考え、日々微調整し、薬剤による改善の可能性を簡単にはあきらめないこと。

 進行が早いので、薬物療法の限界をわきまえ、転倒・窒息の事故を予防するために、アルツハイマー患者の3倍の手間をかけてお世話する。

 医師は、胃瘻(PEG)をタイミングよく増設し、家族に患者の死期を悟らせる様に説明してゆく。

と、書かれたいました。

勉強会は基本的に医療関係者が対象なので、介護家族にはちょっぴりショッキングかも…。

特にDLB末期のターミナル期まっただ中の父を介護中の私には、石で頭を思いっきり殴られた位にがぁぁぁん!だったのですが、発症してから10年目に突入ですからある程度の覚悟は出来てます。
最初の説明時に「発症して10年以上生存したデータはありません」と言われていたので…。
その時は「そんじゃあ父が10年以上のデータを作ってあげましょう」位の意気込みでしたが、今は自信はありません。。。

父は2006年8月に起立性低血圧が悪化し、数分の間にも血圧が急降下してしまい意識が無くなってしまう。
最悪、呼吸停止に至こともある為、座位が保つことが出来ず食事が困難のなってしまい胃瘻造設術に踏み切りました。
また、起立性低血圧で時間のかかる滴下栄養は無理な事と、当時母の認知症状(かなり深刻な状態だった)が今後悪化する可能性を考慮して、私の負担を軽くするという理由で短時間で注入可能な固形化栄養になりました。

そうこうして、今日に至ります。


DLBを発症してから10年目。
とっくに終末期に突入なのでしょうが、父は踏ん張ってくれています。
なので、エピローグはまだ先ということで……。

ですが、11月の第二階勉強会の演題が『認知症の早期発見から重症患者のケアまで』という事ですので、勉強会が終わったらまた続編を書こうと思っています。
それまで「ケンちゃんのレビー物語」も小休止とさせて頂きます。

それまでの間はリアル・ケンちゃん&こぶたのお間抜けな暮らしぷりを綴っていきますですよぉぉ!



なので一応 つづく なのです。