お知らせ
8月28日(日)札幌ぴかぴか組おしゃべり会を開催致します。
詳細はこちらをクリックして下さい。
きゅうりの馬に乗って急いでこちゃらに帰って来ていただろう父やご先祖さま達も、なすの牛に乗りのんびりとあちゃらの世界へ帰って行った事だろう…
お盆がすぎてやっと一段落というか、ホッとしたと言うのか。
夫のお盆休みも終わり( -ω-)=3 ホッ!としたり…
あっ、別に夫が居たからと言って困る事は何もないのだけれど、やっぱ『亭主、元気で留守がいい』つうのが本音だったりするのです。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
ま、私のお盆は父の新盆供養と嫁ぎ先のご先祖さまや息子の供養と夫と母のおさんどんに追われて終わりました。
母は普段通りに13日(土)、16日(火)とディに出掛け、15日の終戦記念日には無事に85回目の誕生日を迎えました。
特別な事は何もしなかったのだけれど、無事に85歳を迎えた事に「おめでとう」と伝えましたが…「もう、めでたくもなんにもない」と返って来ました。。。(-_-)_/☆Ω チーン
もっと何か言い様があるんじゃないかとも思いましたが、母らしいかと思い直しましたよ。
それと、終戦と聞いて思い出した母の恋話。
18歳の時に四歳年上の農家の長男に告白されたそうです。親に相談したら、体が丈夫でなかった(子供の頃に肋膜を患ったらしい)母に農家の嫁は無理だと反対されて一度は断ったそうなのですが、家督は弟に譲り役場に就職して求婚して来たのだそうです。
でも、彼には直ぐに召集令状が来て出征して行ったのだそうです。
出征前に一度だけ夜道を手を繋いで歩いたそうです。満月の夜だったそうで、空は繋がっているんだよ。戦地で僕は毎晩月を見るからタッちゃんも見てくれ。と言ったのだとか…
手を繋いで「今はこれ以上は何もしない」と…もし生きて帰って来れたなら一緒になろうと言ったそうです。(純愛だな〜)結局彼は戦死してしまったのですが…母は彼の戦死を信じずに三年間ラヂオの尋ね人のコーナーに投稿し続けたのだそうです。でも、返事はありませんでした。
その後、母は札幌に出て就職しましたが28歳になるまで結婚をしませんでした。
母の口からはそれ以上語る事はありませんでしたが、きっと10年を区切りに前向きに考えたのかもしれません。世話する人があって父と結婚しました。
思えば母は昔からよく月を眺めている人でした。
胸の奥にしまった恋を月を眺めて、時々思い出していたのかもしれません。
そんな女心は85歳になった今でも持ち続けているのだと思います。(今でも満月の夜には外に出て月を眺めていますから…)
そんな気持ちは私にも理解は出来ますよ。女としてね。
で…この話を初めて聞かされたのは、父が亡くなって四十九日も過ぎていない時だったと記憶しているのだが…
お父さんの事も良い思い出として想ってやって欲しいものです。。。
お誘い
ちょっと聞いてみたい事があるんだけれど…
ブログに書かれている内容と違う質問なので書き込みづらいと思ったら、気軽に『こぶたBBS』にスレッドをたてて(書き込んで)下さい。
皆で問題解決?していきましょう。
愚痴や世間話も、もちろんOKで〜す。
一人で悩まずに、他の人の意見も聞いてみちゃいましょう。
長年連れ添った父ちゃんの事にも
時には想いを馳せて欲しいと願うのは娘の切なる気持ちなのですがね。。。orz
はげみになりますので、ポチッとよろしくデス。
↓
にほんブログ村
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きゅうりの馬に乗って急いでこちゃらに帰って来ていただろう父やご先祖さま達も、なすの牛に乗りのんびりとあちゃらの世界へ帰って行った事だろう…
お盆がすぎてやっと一段落というか、ホッとしたと言うのか。
夫のお盆休みも終わり( -ω-)=3 ホッ!としたり…
あっ、別に夫が居たからと言って困る事は何もないのだけれど、やっぱ『亭主、元気で留守がいい』つうのが本音だったりするのです。( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ
ま、私のお盆は父の新盆供養と嫁ぎ先のご先祖さまや息子の供養と夫と母のおさんどんに追われて終わりました。
母は普段通りに13日(土)、16日(火)とディに出掛け、15日の終戦記念日には無事に85回目の誕生日を迎えました。
特別な事は何もしなかったのだけれど、無事に85歳を迎えた事に「おめでとう」と伝えましたが…「もう、めでたくもなんにもない」と返って来ました。。。(-_-)_/☆Ω チーン
もっと何か言い様があるんじゃないかとも思いましたが、母らしいかと思い直しましたよ。
それと、終戦と聞いて思い出した母の恋話。
18歳の時に四歳年上の農家の長男に告白されたそうです。親に相談したら、体が丈夫でなかった(子供の頃に肋膜を患ったらしい)母に農家の嫁は無理だと反対されて一度は断ったそうなのですが、家督は弟に譲り役場に就職して求婚して来たのだそうです。
でも、彼には直ぐに召集令状が来て出征して行ったのだそうです。
出征前に一度だけ夜道を手を繋いで歩いたそうです。満月の夜だったそうで、空は繋がっているんだよ。戦地で僕は毎晩月を見るからタッちゃんも見てくれ。と言ったのだとか…
手を繋いで「今はこれ以上は何もしない」と…もし生きて帰って来れたなら一緒になろうと言ったそうです。(純愛だな〜)結局彼は戦死してしまったのですが…母は彼の戦死を信じずに三年間ラヂオの尋ね人のコーナーに投稿し続けたのだそうです。でも、返事はありませんでした。
その後、母は札幌に出て就職しましたが28歳になるまで結婚をしませんでした。
母の口からはそれ以上語る事はありませんでしたが、きっと10年を区切りに前向きに考えたのかもしれません。世話する人があって父と結婚しました。
思えば母は昔からよく月を眺めている人でした。
胸の奥にしまった恋を月を眺めて、時々思い出していたのかもしれません。
そんな女心は85歳になった今でも持ち続けているのだと思います。(今でも満月の夜には外に出て月を眺めていますから…)
そんな気持ちは私にも理解は出来ますよ。女としてね。
で…この話を初めて聞かされたのは、父が亡くなって四十九日も過ぎていない時だったと記憶しているのだが…
お父さんの事も良い思い出として想ってやって欲しいものです。。。
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ちょっと聞いてみたい事があるんだけれど…
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皆で問題解決?していきましょう。
愚痴や世間話も、もちろんOKで〜す。
一人で悩まずに、他の人の意見も聞いてみちゃいましょう。
長年連れ添った父ちゃんの事にも
時には想いを馳せて欲しいと願うのは娘の切なる気持ちなのですがね。。。orz
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