こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

2011年02月

0215 あの日のこと…(エピローグ)Ⅱ

DICと聞いても、さほど驚かなかった。
以前にも血液内から菌が検出されて敗血症ですと言われた事があったが、父は奇跡?の生還を遂げた経緯があったからだ。

でも、今回は違った。


あの日は午後から父の所へ行こうと考えていた。
先ずは母と夫の夕飯の準備をしなくてはと思い、常備菜を作ろうと卯の花煎りを作り出した。
後もう少しで水分が無くなると焦げ付かない様に煎っていたその時だった。電話が鳴った。

父の容態が変わったので医師からお話があるので病院に来て欲しいとの内容だった。

卯の花煎りも中途半端で、火の始末だけして家を飛び出した。
病院に着くと父はもう救急病棟から個室に移されていた。
看護師の話では、酸素も下がり呼吸がおかしくなったので部屋を移しましたと説明された。
私が到着した時は、父は昨日と変わった様には見えなかったが酸素は80%と70%代を行ったり来たりしている状態だった。
すぐに担当医のH医師が来て、会わせたい人に連絡して下さいと告げた。今夜までもつかどうかと…

深呼吸をしてから、まずは母のデイサービスに電話を入れた。母は買い物外出に出ていたが引率の方に直ぐに連絡を入れてくれて、病院まで連れて来てもらえた。
姉の職場ににも電話を入れた。
本来なら交代の人が来てくれるまで職場を離れられないのだが、運良く先にあがった人がまだ帰らずにいたので直ぐに病院に駆けつける事が出来た。

前日の父は呼び掛けに目線をしっかりと返していたのだが、あの日の父は荒い呼吸で虚ろな目をしていた。
でも、母も姉も私も誰もが医師が告げた「今夜」という言葉は信じていなかった。
少なくとも数日の長期戦になると勝手に信じていたのだ。
仕事が忙しく連日遅い帰宅だった夫だが、足(車を運転する人が誰もいないのだ)が無い私達の為に早々に退社して来てくれた。
夜は私と姉が泊まる事にして母は家でゆっくりと寝て、次の日の朝に夫に連れて来てもらう事にした。
私も着の身着のまま家を飛び出して来たので着替えて来る事にし、父を姉に任せて一旦帰宅した。

早々に着替えを済ませ、今度は職場から直行した姉を帰し長期戦に備えて買い物もお願いした。
私は父の手を握り声を掛け続けた。
その時に父から便の臭いが漂い出したのだ。
ナースコールをしてオムツ交換をお願いした。
交換の間廊下に出ている様に言われたので廊下にいると「最寄りの駅に着いたので、これからタクシーで向かう」と姉からメールが来た。「お父さんは、どう?」と最後にあったので、「お父さんは頑張っています。気を付けて来てね」と返信し携帯をバックに入れたと同時に看護師が呼びに来た。


「呼吸が止まりそうです」と…


慌てて病室に駆け込んで「お父さん!」と父の手を握った。
父の呼吸は大きく喉を鳴らして体全体で吐き出された。
同時に姉が駆け込んで来た。
「呼吸が止まりそうなの」やっとの思いで姉に告げ、夫に母を連れて来る様に電話をした。
病室に戻り姉と父の手をギュッと握り声を掛け続けた。
呼吸とは言えない様な小さな吐息を数回漏らし父は呼吸を止めた。
母が到着した時はもう呼吸は停止していた。
だが父は呼吸が停止してからも30分以上もの間、心臓の鼓動を止めなかった。
母はまだ温もりが残る父の手を握り、冷たくなって行く頬を撫で「今までありがとう」と泣いた。
夫も頭を撫でて「義父さん、頑張ったな」と声を掛けてくれた。


2011.02.15 PM8:50 


父は最愛の妻である母と鬼娘二人に、手をギュウギュウ握られ顔を撫でくり回されて旅立って行ったのだ。



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なが〜いお話に、
お付き合いありがとうございました。

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0215 あの日のこと…(エピローグ)

今年に入ってから少しずつ体温が下がって来た。
昔から手足が冷たいので、あまり気にしてはいなかった。
しかし、体温計で計測不能になり出し「」と思い出した。
昨年から2月9日からのショートは決まっていた。
低体温は気になっていたが、前日の往診時に体温以外は異常が無いのでショート出陣に医師からOKが出た。
ただし、血圧が低下する等の異常が見られた時には速やかに救急に搬送する様にと言われたのだ。

そんな言葉を頂戴して出したショートだった。
私なりにある程度の覚悟を決めてショートに出した。止めることも出来たのだが…私は疲れていた。
今さら言い訳になってしまうが…
母のこと、姉のこと、父のお世話。何よりも自分自身をどうにもコントロール出来ない状態だった。
一晩でいいから何も考えずに眠りたいと思っていたのだ。

9日の晩は死んだ様に眠った。
10日の晩は夫の晩酌に付き合い、ほろ酔いでグッスリと眠った。

11日は足りなかったリフラノンを届けに父のショート先を訪ねた。
その時に看護師から尿量が少ないことを聞かされたのだ。水分を多めにして様子を看てもらう様に頼んだ。
10日に入浴して体温も少し上がったと報告があった。
13日の午後4時頃に、12日には尿量が増えたが今日になって朝から50cc以下の尿量で血圧が低くなって来ていると連絡が来た。
夫と共にショート先に駆けつける。部屋に設置されていた吸引機のボトルの中の痰の色を見て愕然とした。
泥の様な色だったのだ。
夫に車椅子と荷物を家に持って帰ってもらい,私は父に付き添い救急車に乗り込んだ。

日曜日の救急外来にはインフルとおぼしき人達でごった返していた。
父より重症な患者もどんどんと搬送されて来ていた。
父はモニターに繋がれ、数値的には体温、血圧、酸素濃度が少々低いが安定しているので後回しにされていたのだが吸痰したら…鮮血が引けて来たのだ。
何度引いても痰よりも鮮血が引けるので、内視鏡で出血を確認し止血すると言う。その時に心臓が止まる可能性もあると医師から言われた。
母にだけでも生きているうちに会わせなければと思い夫に直ぐ連れて来る様に電話をした。
その時に何の気無しに姉の携帯にもかけてみたのだ。
仕事の帰りで自宅近くのスーパーで買い物をしていた。あの日は前がみえない程の猛吹雪だったが、姉は直ぐ行くと言った。
母は内視鏡室に運ばれる少し前に病院に到着し、父と対面出来たのだ。
その時の父は意識もしっかりとして、母の声にもちゃんと反応して母の顔をしっかりと見て内視鏡室に運ばれて行った。
姉は父の治療が終わってから到着したが、父もしっかりと目を開け姉の呼び掛けにも反応していた。

姉が到着する前に医師からの説明があったのだが、胃と小腸より出血があり誤嚥による肺炎と説明されていた。その時は休日当直医が経過を見ますと言われ私と姉は帰宅した。

翌日は午後から私自身の予約外来受診の日だったが、朝から父の所へ行った。
到着すると長年お世話になっている救急の主任医師から手招きされ「話があるけど時間はいい?」と言われ父の顔を見てから直ぐに話を聞いた。
今後の治療の事である。
延命治療については以前のまま考えは変わっていないかと確認された。
今後の治療は輸血や昇圧剤の使用もせず、なるだけ痛みや苦しみは回避して欲しいとお願いした。
先生は毎度、辛い事ばかり問うて申し訳ないと言った。続けて説明された父の状態も辛いものだった。
内視鏡の画像にはショート先で見た泥の様な色の物体が写し出されていた。
肺のレントゲン写真は右肺が真っ白になっている。
父は何故肺炎になっても発熱しないにかと質問すると、低体温は高熱と同様だと説明された。
渡された『入院診療計画書』の病状・病名欄には『上部消化管出血、DIC、誤嚥性肺炎』と記されていた。

明日につづく…



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長くなっちゃったんでつづきは明日に…

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悟ると云うこと…

父が逝って『あっ』という間に七日が過ぎた。


初七日のお参りにお寺さんがみえた。
夫は仕事が詰まっており、葬儀の翌日から出勤した。
働いて頂かないと生活がでけないので、致し方ない。(貧乏暇無しである…)

なので当日は母と姉と私の三人だった。

お参りも終わり、ご住職とのお話で父の思い出話の後に母も姉も父の闘病中や葬儀に際して、悔いが残るという様な話が出た。
私にも同様の思いはあるが口にはしなかった。

その時のご住職の答えは、

それは故人が望んでその様になったのだですよ。
あの時に「ああもしてあげたかった、こうもしてあげたかった」と思うのは残された家族が思うことであって、故人は違う事を望んでいたのだから故人の思う様に事が運んだのだと思いなさい。
思い悩めば切りがなく、悔いを残すだけ。それでは故人も喜ばない。


その言葉で私の心も少々軽くなった。
この言葉で、鬱積していた大きな固まりが少しずつ融けて行く様な感覚があった。


私は9日にショートに出した事を悔いていた。
もっと言えば、今年に入ってからの低体温をもっと気にかけていればと悔いていた。
父にもっと優しく接していればと悔いていた。
久しぶりに会う叔母や従兄弟達に「ご苦労さま」と労われる度に、胸の奥の方が痛んだ。
労われる程の事を私はして来たんだろうかと…
でも、ご住職の言葉で軽くなった。

父の最期の時に「お父さん、お疲れさま」「楽になれたんだね」と父にほお擦りし、おでこを押しあてて泣きじゃくる姉や、父の頭や頬を撫で「今までありがとう」と何度も何度も言い続けた母の姿を見て、今まで私の心の中に囚われていた思いが解放されたと感じた。

通夜の時、もう充分に大人の孫達が号泣した事にも驚かされた。
それだけ父の孫達にそそがれた愛情が深かったのだと思ったのだ。
考えてみれば、父は孫と遊ぶときも全力で遊んだ。
思いっきり、本気で孫と喧嘩もした。
孫達にとっては大好きな愛すべきお爺ちゃんだったのだろうと思う。
思い出話は告別式の朝までかかっても語り尽くせぬ程だった。

甥や姪(私にとっては従兄弟達)にとっても、優しい伯父だったようで皆から慕われていたことも父の死後に知る事となった。


父がびまん性レビー小体病と云う摩訶不思議な病気に冒されなかったのなら、どんな老後だったのだろう。
まだ元気に余生を楽しんでいられたのだろうか?
いやいや、父は父らしく生きたのだと思おう。
ご住職がおっしゃった様に、父が望んだ人生だったのかも知れないと…
だって切れかけてしまっていた我々家族の絆を最後の最後に、よりいっそう太くて丈夫なものにすげ替えて旅立って行った事には、あっぱれ!としか言いようが無い。
わだかまりはすっかりと消えた訳ではないが、心の一番奥の引き出しにしまって鍵をかけた。
後はひたすら忘れてしまう事にしようと思う。

夜伽の時に義兄が「じゅんは何年間も(父を)看て来たんだから、母さんはしばらく家の奴(姉)に看させてしばらくはゆっくりしてくれ」と皆の前で言ってくれた。
その時に私の頭に浮かんだ事は、四十九日の法要が済んで父を本当の意味で送り出したら、レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会『ゆるゆる組』の皆に会いに行きたいという事だった。
私のレビー介護は父から母にバトンタッチされ、今後も続いて行くのだ。
今現在はサプリメントで小康状態を保っているのだが、確実に足下がおぼつかなくなって来ているのだ。また、父と同様に視覚にも異常を来しているのは明らかだ。
本格的な介護に再突入するまでの間に束の間の自由を謳歌しようと思うのだ。
それもこれも父からのプレゼントなのだと思うことにした。
哀しんでばかりじゃ父に叱られる。
前に進まなくてはいけない。
その第一歩が、レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会に参加させて頂く事と決めました。(勝手にちゃっかりと…)(* ̄∇ ̄*)エヘヘ


まだまだ私の涙腺は壊れていて、涙は突然あふれて来ます。
しかし、悟りを開くという事はプラス思考で物事を見る事だと思うのです。私なりの解釈ですが…
念ずれば道は開けると云う事は、今時の言葉で言えば”引き寄せ効果”なるものの様に思います。
私が私なりに生きる事が、私らしく日々を送る事が父への供養になるのではと思っています。



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もちろん、父の力は偉大だが、
『血は水よりも濃し』とはよく言ったもので、一瞬にして家族の絆は修復するものなのだ。
恐るべし、DNA

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父の旅立ち

父の旅立ちにあたり、たくさんの温かいお言葉を賜りありがとうございます。
ひとつひとつ読ませて頂き、これまでのレビー発症から十数年を踏ん張り続けた父を偲び、同居してから八年目の今月15日の旅立ちまでの日々を想い胸が熱くなりました。

父のこぼれんばかりの笑顔の遺影を目にする度に、まだまだ涙してしまう私ですが、今後は母のお世話も少しずつ多くなって行く事と思います。
今は少しの時間を頂き、父の介護をきっかけに始めたこのブログの今後も考えて行きたいと思っています。

今はまだこちらの世界にいるだろう(仏教では四十九日までは魂はこちらの世界におります)父と、もう少しゆっくりと心を通わせてみたいと思っています。

本来であれば頂いたコメントひとつひとつにお返事したいのですが、この場を借りまして失礼させていただきます。

本当にありがとうございました。

旅立ちの時

父は15日午後8時50分
鬼娘二人に手をギュッとされながら、旅立って行きました。


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