こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

2010年05月

吐き切った後は…

愚痴も、毒も、
吐き切った後は、
スッキリ爽やか〜{/ピカピカ/}

何時ものこぶたっちに戻るわよ〜(プチ鬼娘な所は変わんないけどね〜)


父、血圧上げてくれますた。

本日、朝から往診。
のんびり構えてたら、眉毛の無いまま(スッピンとも言う)、先生のお出迎えになっても〜た〜
ま、私の顔がどうあれ父の往診なので関係はないのだが…
その時は血圧も正常だったのよ…
来月のショートの話題が出て、明日からショートの予定なんですよね〜と小声で言ったのだが…
父は耳がよ〜く聞こえる。
しっかりキャッチしちゃったようです。

往診の一時間後に訪問看護だった。
往診でバタバタしていて、お通じを良くする座薬を挿してなかったので、お便秘3日目なので浣腸をお願いしようかと思ってました。
湯煎までして準備万端だったのに…
往診時は120だった血圧が一時間後には196まで上がっちゃったのだよ。
血圧高過ぎて、浣腸は却下。
午後のお風呂が終わってから
座薬挿してσ*ホジホジしてみますです。

ショートの情報がショックだったかしら?

でも、今のところは低空飛行ながら安定しているので、行ってもらいます。(鬼?)
夏に向けて、御髪もサマーカット(刈上げ?)してもらわないといけないしね。(ショート先には出張理容師さんが来てくれるのですよ)
ただし今回も、眉毛の事はちゃんと言っとかないとね。


今時の若者の様な、細〜い眉毛にされないようにね〜



しばらくの間は、穏やかだと思ふ。
でも、溜まったらまた毒吐くでぇ〜

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反論その2

先ずは本日の父の様子から。

フェルガード一日1包再開、3日目。
一日中クリアに覚醒。
お返事もバッチリ出来る。
ただ、何時もの大波小波なのかも?
なので、川面の木の葉のような父を、もう少し様子を見る事にする。


そんでもって、
昨日の反論のつづきでつ。
私自身も昨日よりは気持ちも落ち着いて来てますよ。

また、何があったかは定かじゃありませんが、今日になってこの方のブログの問題の記事は削除されていました。
読み返されて「こりゃ、イカン」と思ったのか?
はたまた、私の様な反論コメントがあったのか?

この方の介護のカテゴリーを読み返してみたのですが、それなりに在宅介護をなさっていた時には苦労していた様なのだ。
嫁と言う立場で、旦那の実家へ子育てをしながらの通い介護をしていたらしい。
娘(旦那の兄妹)は介護には全く手を出さなかった様だし…

私が思うに総合病院のリハビリ病棟に入院で来た時には、ホッと胸を撫で下ろしたのだろうと思うのだ。

自分の実家の祖父母は恵まれた環境(親戚一同、介護に協力)で在宅介護をしていた模様。

ま、現在は病院に任せて一安心と言う事なのだろう。
寝たきりで胃瘻の姑は、現在は点滴だけで(胃瘻もストップされたらしい)旅立ちの時を待っている状態。

胃瘻に関しても、旦那や旦那の兄妹の自己満足と言い放った事にもちょっと引っかかったが…
百歩譲って、千差万別ご意見はあるだろうと震える握り拳は下ろそうじゃないか。
「介護を頑張り過ぎないで」と言うメッセージが感じさせられる部分も無きにしもあらずだったから…


まだまだ書き足らないのだが、記事も削除されていたことだしこれ以上は書かんでも良いかと思う。

が…、

もうひとつ、
この記事の最後に
良い看護師、良い介護士は
仕事と私事を混同しない

と締めくくられていた事がカチン!と来たのだ。

介護士さんも看護師さんも、どんなに親身になってお世話してくれたとしても、それは仕事だ。
家族にとって介護は、仕事じゃない。

まるっと生活!

まるっと私事だろうがぁぁぁ!

だから、家族にしか出来ないお世話が出来るってもんだよ。
情報を発信しているのも(薬の名前や講演の内容を逐一 ブログなどに書き留めている人)、少しでも認知症の進行を抑えて生活してもらいたいと言う家族ののお裾分けじゃないの?
それを批判されてしまった事が私のハートに引っかかってしまったのだよ。



頭がパッパラパ〜なので上手い事言えないのだが、
私の心の叫びだと思って聞き流してね。

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反論

介護の形は色々で、そこそこの家庭の事情や、家庭内での介護力は千差万別。

家族が一丸となって在宅介護を踏ん張るのもよし。
限界を感じた時は施設入所も視野に入れておく事を忘れずに、限界を感じる前に施設の予約を入れておく事をお勧めする。
順番が回って来た時にまだ早いと思ったら、次の方にお譲りしてまた後ろに並べば良いのだから。


私自身も「父は在宅で看取る」と最終決定をするまでは、そんな気持ちでやって来たのだから…


我が家の父の場合は、大きな声を出して騒いだり暴力的になる事も無く穏やかだった。
体の自由が奪われてしまうのも早かったからかもしれない。
だが、母の場合はそうはいかない様な気がする。
性格的にも私が精神的に追い込まれる事が目に見えているからだ。
母は速やかに施設入所を願おうと思っている。
母自身も今はその様に考えている様だ。

父を介護する事には、寝不足や疲労を感じない訳ではないがストレスをさほど感じる事は無い。
私が今現在感じているストレスは母や姉の事だけなのだ。
なので母の介護となると、ストレスから母に対して虐待の加害者になりうる恐れが大きいと本気(←本気と書いてマジと読む)で思う訳だ。


そんな事にならない為に、母には施設入所をと決めている。
最終的には…私の体力と気力が残っていればの話だが、看取りは家に連れて来ても良いではないか。
旅立ちのシチュエーションだって幾らでも選択できるじゃないのかな。


と、私はここ数年で父の介護をしながら、レビーが少しずつ進行して行く母を看ながら今後の事を考えて来た。
そんな風にそれぞれに介護については、現在進行形の介護家族の方達も考えていると思うんだ。


ところが、何気にネット徘徊(夜中にするネットサーフィンを私はそう呼んでいる)中に必死に、在宅介護をしている人達の事を

自分のスケジュール が 介護中心になっている人

薬の名前や講演の内容を逐一 ブログなどに書き留めている人

真面目に介護に取り組んでいる人ほど ぞっ とする。

と書かれているブログを発見。



まんま、私やないかい。{/むかっ/}



何だかムカッと来ちゃって、遡って読みましたよ。
この人ってばどんな思考の持ち主なんだろうって興味も湧いちゃってさ。。。( ̄∇ ̄;)

長くなりそうなので、つづきは明日ってことで…



反論は、なが〜くなりそうなので
尻切れ蜻蛉の様で、申し訳ないが…つづく

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またもや…5年前

過去の日記を見る度に、思うこと。。。
私って、成長の跡が見えない。orz


無駄に歳とって来た感が否めないのだよ。(;´・ω・`)ショボ~ン
何時も同じ事で愚痴ってる様な気がする。

またもや5年前の話だが(ネット上で、介護日記を付け出したのが5年前なもんでして…)、やっぱり母の事を現在と同じ様に愚痴っている。
子供の頃の回想と共にだ。(何時になったら過去のトラウマから脱せるのか…)


でもね、

唯一、違っていた物を発見。
まだ、姉に対しては優しい気持ちを持っていたのかも…
5年前、姉は貧血を起こし自転車で転倒して顔面を強打。
肋と下顎を骨折、頬骨も陥没骨折と大怪我を負った事がある。
仕事が忙しかった義兄にの代わりに、手術だ転院だと足しげく姉の所へ通っていたのだ。
今だったら考えられない。
ま、父の状態も今ほど深刻な物ではなかったのもあるが、それでも母に任せて行くのには勇気がいったと綴っている。


しかし


そんな妹の優しい気持ち(自分で言うなよな…)を踏みにじられたのもこの時だった。
母や私、義兄や子供の「すっかり身体を治してから退院しなさい」と言う言葉を撥ね除け、医師の意向もそっちのけで姉は無理矢理退院して来たのだ。
家の事とか、仕事の事やらが心配での事かと思いきや…
私達や家族にまで秘密裏に、翌月に予定されていた海外旅行に行きたいが為の退院だと知り呆れ返ってしまった。
私の所へも助け舟を出して欲しくて何度か「娘は行っておいで(←嘘だから…)って言うんだけど…パパがね〜」と電話が来たが、「周りの人の気持ちも少しは考えたら?」と言ってやった。
考えてみるとこの事件以来だと思う。
あんなに頻繁にくだらない話で(私には関係ない仕事の愚痴)電話をかけて来た姉が、ピタリと音信不通になったのは…

そんでもって、今まで母の言う事には逆らわなかった姉が50歳にして初めて逆らった事(勝手に退院したこと)で、母は自信喪失。
その後しばらくの間、不穏状態で泣き叫ぶ事が多くなった。
私の精神的負担も嵩み、虚血性大腸炎を繰り返しておりもした。 Σ(@д@;)ナイタラ、アカン・・オモイダシテシモゥタ~


あ〜、暗い話になってしまったよ。
気を取り直して、今の父の事。
本日よりフェルガード100Mを再開。
朝に1包から初めて見ます。
今更、何故に?と思われるかもしれませんが、Dr.コウノの『末期でも重症でも認知症患者に効果』って言葉に最後の望みをかけてみるわさ。
効果の出ない30%では無いと思える父なので、大きな効果は期待していないけれどボチボチと行ければ良いかと思ってます。



私って…
けっこう執念深いかも…

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ちょっと真面目な話でつ

今日も寒い札幌です。
ストーブは、まだまだ必要な北海道です。


父は相も変わらず、低空飛行です。
もう一度明るい報告が出来ないものかと、今一度過去の日記に目を通してみた。
何かヒントが隠れてるんじゃないかと必死に見返した。
う〜〜ん?解らん!
やっぱ、ダメじゃろかぁぁぁ?


2005年は、時にはあちゃらの世界に心を飛ばしてしまう事もあったが、意思の疎通も普通に出来ていたと思う。
声を出して笑い、冗談も言い合えた。
体を少しでも動かせる様にとドーパミンを出す薬を飲んでいたが、一向に効く様子はなかった。
薬を増やせば正気が薄らぐ。
アリセプトとドパミン前駆物質の調整に試行錯誤していた頃だった。
食事はキザミ食からミキサー食へ移行して行った頃だ。

2006年はDr.コウノを知った頃だ。
アリセプト少量説。
抑肝散が幻視に効果があるのではと雑誌に載ったのもこの頃だと思う。
初期のレビー介護仲間と頻繁にメール等で情報交換をしていた頃だと思う。
とにかく少ない情報を必死に集めては、人体実験の様に父に試していた頃だと思う。
この年の夏に胃瘻も造った。

2007年、まだ父は言葉を発していた。
隠り熱なのか、病気の熱なのか迷う日々。
安定と言う名の低空飛行が始まったのもこの年からだ。
そして、私がまさかの糖尿病と診断された年でもある。

そして2008年、フェルガードの登場である。
コウノ・メソッドがレビーのバイブルだった。
藁にもすがる思いで飛びついた。
末期なレビーには、目に見える様なミラクルは起きなかった。
しかし、母の様な初期のレビーには良い様だ。

昨年にはフェルガードを止めてしまったのだが、また、飲ませてみようかと思い始めた。
変化は…期待はしていないが、今思いつく最善の方法の様な気がするから…


父が飲まなくなってから、母に一日二包にする様に勧めたが、変な所にケチ臭い母は朝一包しか飲まないのだ。
私の言う事は、絶対きかない人なので仕方が無い。
来月の父のショートはケアマネの采配で、母の神経内科の受診日に合わせてくれた。
薬の調整をしてらっしゃいと言う事なのだ。
ただ、あの母が大人しく従ってくれるかと言うのが悩みなのだが…



ああ〜、面倒くさい性格だよ。(´д`;)マッタク!

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