こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

2010年03月

ターミナルケア…その後

途中で腰砕け状態だった、ターミナルケアに思うことのつづきである。


昨日は意気揚々と踏ん張ってかき綴ったのに…グチグチ…(まだ言うか?)

ま、簡単に書けば、明日につづくと書いたのに書かなかったのは、
椎間板ヘルニアがどうにもこうにも痛過ぎて、何時もは我慢している鎮痛剤を飲んだ為に、むっちゃ睡魔に襲われる事になり、
それでなくても回転が鈍くなった思考回路がストップしていたのだ。

書く気無しって事ですた。



そんでもって、本題のターミナルケア。

勉強会や研修会。
はたまた訪看や往診の医師やナースからでも良いと思うのだが、最期を迎えるにあたっての何らかの話があっても良いと思うのだ。

予後半年ですよ

年は越せないと思っていて下さい

とは告げられたが、


だからどんな事が起るのよ?
どの様に介護していけばいいのよ?


知りたい事はてんこ盛りなのだ。

そこはネットで検索もしてみたさ。
介護・net』の「終末期の看取り方」と言うのにヒットした。
ここは介護のノウハウが簡単だが解り易く掲載されている。
しかし、「臨終の兆候と介護」と言うところに書かれている兆候は、父の日常の症状とさほど変わりは無いのだ。

父にもう旅立つ時が来ているのかと言えば、この状態は一年以上前から同じだと思うのだが…はて?…


主治医も父のそんな状態から、予後半年と言う結論を出しちゃったのだとは思うのだが。。。

また、我が家では母が父の死をどこまで受け入れられるかも心配なところなのだ。
何がきっかけで認知症状が進んで行くかも図り知れない。
そんなこんなを今まで見て来た医師やナースからだったら、良いアドバイスもあるのではないのだろうか?

娘がそんな事を思いめぐらしている等とは思いもよらないだろう父は、二ヶ月ぶりに絶好調が巡って来ているようだ。
自らおしゃべりも良くするし、こちらの問いかけにも答える。
覚醒度が良いので、呼吸も楽々なのだ。(ちょっぴり出ちゃう唸り声は、ご愛嬌ってことで…)
ただ幻視はバリバリ見えているようで、時々驚きや威嚇の声を上げる。
今回は「何が見えるの?」と聞いても答えは無いが、「怖い物が見えるの?」の問いには「うん、怖い!」と答えた。

なので、

大丈夫だよ
見えてるだけで悪さはしないからね

と言ったら、少しは落ち着いた様だ。



本日は、まだ反応があるけれど…
今度の絶好調は、何時かな?


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何故に…

長々とターミナルケアに思うことや
何故に明日につづくと書いたのに、書けなかったかの言い訳を
一生懸命に綴ったのに…



何故か!?
一瞬にして消え去った…




気持ちが落ち着いたら、
もう一度チャレンジしてみるよ。。。


まずは、父の経管栄養やりながら
おつむを冷やして来るw



意気消沈。。。

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ターミナルケア

父は現在、月、水、金と、週に3日の訪問看護を受けている。

サービスを受け始めた頃(2003~2004年当時)は、かろうじて歩いていたので、自宅の浴室でシャワー浴を訪看のナースに週二回介助してもらっていた。
当時はお腹から排膿の為ドレナージされていたので、入浴後の消毒等の処置が必要だった事があり、私や夫の介助で入浴したのは数える程だった。
お腹の管が外れてからは、週3日デイサービスでお風呂に入れてもらっていたが起立性低血圧を起こす様になって、デイから受け入れが出来ないと断られてからは訪問入浴のサービスを受けている。
この入浴サービスも、今後の父の状態によっては受けられなくなる可能性もあるだろう。

父はターミナル期(終末期)に入ったと言われてから、かれこれ二年以上経過している。

お世話になっている病院からは、起立性低血圧を頻繁に起こし数回救急車で搬送された時点で(一度呼吸停止状態になったこともあるので)蘇生、延命の希望の有無を数年前から確認をされ、文書で回答もしている。

昨年は予後半年で年を越すことは難しいとまで言われたが、父は踏ん張ってこの世に留まっていてくれている。
ショートステイでは、最期まで受け入れは可能だとは言ってもらえている。
病院側もいつでも短期入院は利用可能だと言ってくれる。
私が急に体調を崩した時等はショートか病院での短期入院で対応は可能だ。
そんな後ろ盾があるから最期まで在宅で看ようと決心したのだが…


介護者の心のケアや看取りについての勉強会(研修会)みたいなのがあっても良いと思うのだ。
そんなサービスがあっても良いと思う。
ケアマネも「こちらも協力しますので大丈夫ですよ」と言ってはくれるが、
どんな協力をしてくれるのか?
何が大丈夫なのか?
具体的な話は何も無い。

一度それとなく問うた事があるが、父や母の前ではあまり掘り下げた話も出来なかったのだが…

旅立ちの時は確実に近づいているのだとは思うのだ。
それに伴い、不安は大きくなるばかりだ。



まだまだ書きたい事があるんだけれど、
明日につづくヨ。


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ぐだぐだ…

すっかりサボリ癖が板について来てしまったような… (*´ω`)

父の状態は、お世辞にも「いい状態ですよ〜」等とは言えない。
今まで順調に来た経管栄養でさえ、ここ数日は逆流しちゃうことがある。

呼吸の性もあるのだけれど…

舌根沈下で喉が塞がり呼吸が出来なくなる。
苦しいのとパニックで力が入り、なお一層大きく口を開けてしまう。
口を開けることと力が入ることで、余計に喉が狭くなり呼吸を困難にしてしまっているようだ。
けっこう良い表情をしていても、反応は少ない。


そして母はとうとう、前屈姿勢でつま先でちょこちょこと小股で歩く様になって来てしまった。
連日連夜続いた大きな寝言をここ最近は聞かないと思ったら、小刻み歩行が始まってしまった。
幻視は無いようだが、妄想は果てし無い。
悲劇のヒロインの様だ。
先日も包括の担当ケアマネが移動で、今度は男性のケアマネに代わることになったと聞いた途端「私ばかり何度もケアマネージャーが代わる」とご立腹だ。
移動なのだからお母さんだけじゃなく、担当していた人が皆代わるのだと説明しても聞く耳をもたない。
何につけても「私ばかり…」「私だけ…」とひがみっぱなしで困ってしまう。

そんなこんなを私は消化出来ずにぐだぐだと過ごしているのだ。



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誕生日…その後…

遅くなりましたが、
たくさんの”おめでとうメッセージ”をありがとうございました。


半世紀を一歩踏み出した、どうでもいい年齢なのに、
誰もお誕生日を憶えていてくれなかった等と年甲斐も無くすねたりして…
お恥ずかしい…(;-ω-)

この場を借りまして、お礼申し上げます。



さてさて、


19日の夕刻ですが、
な、なんと、
夫が(憶えていたのか?何かの拍子に思い出したのかは定かじゃありませんが…)ケーキとちっこい鉢植えのお花を二つ抱えて帰って来ましたよ。



ベルフラワー&プリムラです。
因に花言葉は、
ベルフラワーが不変
プリムラが永続する愛だそうです。
買って来た本人は知ってか、知らずか???

母に至っては、ケーキのメッセージプレートを見て、初めて気が付いたようです。(;-ω-) =3 ハァ~

ま、産まなきゃよかったと幼い頃から言われてきましたから( ̄∇ ̄;) ハッハッハッ





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