こぶたのきもち

両親の介護とこぶたのくらしっぷりだよ〜ん                                                父はレビー小体型認知症と10年以上も戦い旅立ちました。                                           現在は何の因果か、これまたレビー小体型認知症の母とレビーに挑んでいます。

2008年08月

家族会

家族会といっても、みなさんのブログで話題になっているレビー小体型認知症患者の家族会の事ではありません。

母が週に一度通っているデイサービスの家族会です。

初めて参加させてもらいました。
父が通所介護を始める時には、事前に見学に行ったりしたのですが、母の時は父の事もあり母自身に数カ所の施設をお試しで行ってもらって、母自身に決めてもらいました。
なので、私は今回初めて施設を実際に見させて頂きました。
スタッフの方達とも、初めてちゃんとご挨拶ができました。ホッ!

座談会では母だけでなく、何処の利用者さんもワガママを抑えて自宅とは違う顔でいることや、多少の緊張感を感じているようで通所日は熟睡しているらしいこと等々…。
私自身も数時間の会でしたが、久しぶりの外出でちょっぴり緊張感を味わえて良かったかも。
そして今更ながら、両親二人の介護をしているんだな〜と感じた日でもありました。


        ※※※※※※※※※※※


今日の父は、
声は昨日の「はい」以降は聴けていませんが、表情が少し出てきました。
声がけにも、瞬きや口を動かしたりして反応らしい行動もあります。
ちょっと希望の光が見えたのかな??

筋肉注射

本日の往診で、主治医は父に意識障害有りと判断した。

言葉を発さなくなって10日以上になる。
そんなに長い期間、反応が無い事は今まで無かったから…。
自分だけであれやこれやと思い悩んでいた時より、なんだか気持ちが楽になる。

薬の事も相談したら、泌尿器の薬を止める事はあっさりOK。
メシル酸ペルゴリドも止める事にした。もう動く事も無いと思って…。

だが、主治医の方からニコリン点滴の話が出た。
10年以上も前に「今にして思えばレビーだと思われる患者さんがね」と前置きして話をしてくれました。
主治医は神経内科医なので受診されるのは、パーキンソンニズムの強い患者さんが多くその方もどんどんと悪化していったそうです。(歩行を良くするためにパーキンソンのお薬ばんばん処方したんだろうね)
最終的には意識障害が出てしまい、そんな時にニコリン点滴で回復したという経験があるそうです。

しかし、父は静脈が確保でけませんですぅ。
なので往診の時点では、訪看で血管確保を試みてダメならサアミオンを処方しましょうと言う事になりました。



前回の往診時にフェルガードの事を問われたので、フェルガードの資料をプリントしたものにコウノメソッドの札幌版(勉強会のときのもの)を付けて渡したら「コウノメソッドは2008年版をネットでプリントしてますよ」と言ってくださいますた。(ちょっと嬉しかったりして…)
なので(前もって用意してあったんすが…笑)11月8日の勉強会の申し込み用紙もプリントアウトして渡しました。ちゃっかりと…。
「第一回の演題は(レビー小体型を中心として)だったんですよ〜」
医療関係者よりも介護家族が多かったことや、父の事を質問したら、ニコリン点滴か点滴が無理ならサアミオンをとDr.コウノからの返答だったこと等をお話ししました。



往診が午前中でPM3:00からの訪看でニコリン点滴と言われていたのですが、訪看の前に在宅医療部(往診)から電話で「先生が色々調べてくれて、点滴が無理なら筋注でも大丈夫ってことになったので筋肉注射になりました〜」と電話。

静脈からの注射でないので効果はジンワリと遅いかもしれませんが、確実に体内には入るので効果はあると説明されたのですが…本当か?
やらないよりは良いかな?と半信半疑ながら「はい」とお返事したのですが…。

訪看さんも「痛いんだよね〜」と申し訳なさそうに注射してくれました。
かなりの意識障害なのか、痛いはずなのに顔色ひとつ変えずピクリとも動かず注射を終えました。


その後、表情がしっかりとしてきたので「お父さん!」と何度か声を掛けると、小さなかすれた声で「はい」と返事をしてくれました。
一度きりですが確かに返事をしてくれました。
痛いのだろうけれど、効果があるなら今後も筋肉注射でお願いしようと思っています。



そんでもって薬の方は、


アリセプト1mg
フェルガード100 1包


フェルガード100 1包


抑肝散 1包
カリウム製剤 1包
フェルガード100 1包



と、なりました。後は下剤のみです。
しばらくの間はこんな感じで様子見です。
また、父と話ができればいいな〜と思っています。

本日のケンちゃんⅣ

お知らせ

第二回Dr.コウノ認知症勉強会

テーマは「認知症の早期発見から重症患者のケアまで」
日時:11月8日(土) 15:00~18:00
会場:北海道自治労会館5Fホール(℡011-747-1457)
    札幌市北区北6条西7丁目
対象:認知症介護従事者、認知症患者ご家族、認知症に関心のある方
入場:無料 、参加ご希望は事前申込が必要です
主催:認知症を学ぶ会・北海道事務局(有)ホービス内

こちらから申し込みが出来ます。




ここからが「本日のケンちゃん」です。


うだるような暑さは、お盆を過ぎたら無いものの。
赤とんぼが飛んで、ナナカマドの実も葉も赤く色づき、秋の北海道なのに…。
今日はまとわりつくようなじっとりとした風が吹いてます。
気温は高くないのに不快なのですぅ。
ですが、
父の口から、言葉は相変わらず出ません。
話しかけても目を合わせません。

「お父さ〜ん、おはよう!」

「今日は何だか蒸してるよ〜」

「暑くない?大丈夫?」


「・・・」


「ねえねえ、お父さ〜ん」

朝っぱらから、あーだのこーだのと一人で喋りまくる。
こんなに五月蝿く喋りまくってるんだからさ、嫌な顔位して見せてよ。
「五月蝿いなぁ」くらい言ってよ。
そんな事を考えながら珍しく自力で出した(ちょっぴりユルユルだったから出ちゃったんだね)ウンチョスを始末してたら、急に涙が出て来ちゃって慌てちゃった。
「覚悟は出来てるよ」って強がってるけれど、本当は不安で仕方ないんだ。
でも、私が踏ん張らなきゃ!



明日の父の往診の時サアミオンの事を相談してみようと考えていたのだけれど、止めようと思っている。
「レビー小体型認知症の看護・介護の心得」にあった、『進行が早いので、薬物療法の限界をわきまえ、転倒・窒息の事故を予防するために、アルツハイマー患者の3倍の手間をかけてお世話する。』に則ってお世話しようと決めた。
転倒は立ち上がる事がないのでよいとして、当面は窒息が心配。
以前は痰が溜まると咳込んだり、ガラガラと音がしたのだけれど、最近は音無の構えで喉にたっぷりと痰をためている事が多いのだ。

今日まで、誤嚥性肺炎も褥瘡も酷い状態にはなった事が無かったのは、父が慢性的な病気が無かった事と丈夫な体に産んでくれた祖母のおかげなのだろうと思う。
後は父が生きたいと言った年齢である85歳まで踏ん張ってくれればいい。
本当は元気に85歳を迎える事が父の望みだったのだろう。
かなり望みとはかけ離れてしまった感はあるけれど…しっかりサポートさせて下さいな。
お父さん、わたしもお父さんと一緒に踏ん張らせて。

失語

父の言葉を聞いたのは、14日にショート先で聞いたとってもご機嫌な「わかったよ」という言葉が最後だ。

私が部屋に入って行くと、父は散髪の真っ最中だった。
ひげ剃りも終わりローションをパッティングしてもらい、床屋さんのかほりがしていた。
ローション&整髪料の香りで覚醒したのか、にっこり微笑んで何やら喋りだした。
まさかそれが父の言葉を聴く最後になるなんて、夢にも思わなかった。
そうだと知っていたら、もっとお喋りしたかったのに…悔しい。

私の名前を呼んでくれなくなって、もうどのくらいになるだろう?
忘れてしまう程の時間が過ぎているんだね。

悪い事は何時も突然にやってくる。

立てなくなったのも、
お箸が持てなくなったのも、
そして言葉を発せなくなったのも…何時も突然。


「元気で帰ってきてね〜」と帰り際にそう言って手を振った私に、

「わかったよ」とはっきりと答えたのが最後だなんて。



でも、
希望はちょっぴりだけど持っていようと思う。

完全に尿意を忘れたはずなのに、一年に一度位「オシッコしたい」と言う父だから。

きっともう一度くらい何かを言ってくれると期待している私が居るのだ。

何時まで一緒に暮らせるの?

基本的には、お宇宙(そら)に昇るその時まで可能です。

ただ、それぞれの家庭にそれぞれの環境が存在すると思います。
家族それぞれの生活環境等々…。
介護保険をフルに使っての別居介護や遠距離介護も可能です。
施設に入所なさるのも有りだと思います。
家庭を壊してまで、家族がバラバラになってまでの無理な介護はしない方が良いと思うのです。
お互いに安心して穏やかに生活できる環境が必要ではないのでしょうか。
離れて居ても、毎日会えないとしても、気持ちがあれば愛があればそれで良いのです。
私はその様に考えています。
一緒に居ても毎日顔を会わせていても、心が無いのであれば愛が無ければ、それは良い環境では無いのだから…。



我が家の場合は、私が決めました。
夫が「お前が納得のいくように決めなさい」と言ってくれたので、お言葉に甘えて自宅で最期を見届ける事に決めました。
今現在以上の延命(胃瘻&導尿)はしないつもりでいます。




第一回Dr.コウノの勉強会のスライドの中に「レビー小体型認知症の看護・介護の心得」として、

 中枢神経系の薬で副作用が出やすいので、処方の種類や容量をよく考え、日々微調整し、薬剤による改善の可能性を簡単にはあきらめないこと。

 進行が早いので、薬物療法の限界をわきまえ、転倒・窒息の事故を予防するために、アルツハイマー患者の3倍の手間をかけてお世話する。

 医師は、胃瘻(PEG)をタイミングよく増設し、家族に患者の死期を悟らせる様に説明してゆく。

と、書かれたいました。

勉強会は基本的に医療関係者が対象なので、介護家族にはちょっぴりショッキングかも…。

特にDLB末期のターミナル期まっただ中の父を介護中の私には、石で頭を思いっきり殴られた位にがぁぁぁん!だったのですが、発症してから10年目に突入ですからある程度の覚悟は出来てます。
最初の説明時に「発症して10年以上生存したデータはありません」と言われていたので…。
その時は「そんじゃあ父が10年以上のデータを作ってあげましょう」位の意気込みでしたが、今は自信はありません。。。

父は2006年8月に起立性低血圧が悪化し、数分の間にも血圧が急降下してしまい意識が無くなってしまう。
最悪、呼吸停止に至こともある為、座位が保つことが出来ず食事が困難のなってしまい胃瘻造設術に踏み切りました。
また、起立性低血圧で時間のかかる滴下栄養は無理な事と、当時母の認知症状(かなり深刻な状態だった)が今後悪化する可能性を考慮して、私の負担を軽くするという理由で短時間で注入可能な固形化栄養になりました。

そうこうして、今日に至ります。


DLBを発症してから10年目。
とっくに終末期に突入なのでしょうが、父は踏ん張ってくれています。
なので、エピローグはまだ先ということで……。

ですが、11月の第二階勉強会の演題が『認知症の早期発見から重症患者のケアまで』という事ですので、勉強会が終わったらまた続編を書こうと思っています。
それまで「ケンちゃんのレビー物語」も小休止とさせて頂きます。

それまでの間はリアル・ケンちゃん&こぶたのお間抜けな暮らしぷりを綴っていきますですよぉぉ!



なので一応 つづく なのです。
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