アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症。
認知症大御所三人衆です。
どれをとっても特効薬はありません。
悲しい事に認知症は完治する事のない、現時点では不治の病なのです。
父がレビーを宣告された時、今後の父の病状の経過として説明された事柄は、
発症から5~7年で寝たきり、7~10年で死に至ること。
発症してから10年以上生存した症例は無いと思われること。
ただしレビー小体病で死亡する事は無く、誤嚥性肺炎や心不全等による死亡であること。
病院や施設に入ったら父の余命は年単位ではなく、月単位の生存確率になると説明されました。
父はその時点で少なくとも発症してから4年以上経過していたのです。
医師の説明道理にそれから数ヶ月で父は立ち上がる事が出来なくなってしまいました。
けれど、
認知症治療は日々進化しています。
研究が進み、なんと言ってもDr.コウノが認知症治療術を進化させてくれています。
DLBと一言で言っても、レビーにはバリエーションがあるのです。
アルツハイマータイプ
パーキンソンタイプ
それとDr.コウノの造語である大声で叫ぶタイプのピックタイプです。
タイプ毎に薬の処方も変わってくるのです。
それがDr.コウノが作り上げた
認知症薬物療法マニュアル「コウノメソッド」なのです。
6年後にはアルツハイマーの予防ワクチンが実用化されるのだそうです。
それまではフェルガードが医師にとっての福音であり、患者によってはワクチン以上のものである可能性があるとまでDr.コウノはおっしゃっています。
父は4年前にレビーと診断されていましたが、治療法もなく神経内科の主治医は少しでも動けるようにとパーキンソン治療薬のネオドパゾール、グラマリールが処方されていました。
また、泌尿器科からは前立腺肥大の薬であるアビショットという薬が、とんでもない事態を引き起こしたのです。
起立性低血圧です。
最初に起立性低血圧が起きたのは、当時通っていたデイサービスで起きました。
父の生あくびに気がついてくれ、すぐに血圧を測ってくれたスタッフのおかげで失神する事は免れました。
その後、何度も失神を繰り返し、酷い時は呼吸が止まった事もあったのです。
おかげさまで?一日に二回も救急車に乗った事もありました。
もちろんデイサービスでも受け入れ困難ということで、父は外界との接触は往診、訪看、訪問入浴等の介護サービスだけとなってしまいました。
24時間、365日休み無く続く介護に私自身が心身崩壊の危機に見舞われたのも、ちょうどこの頃。
下痢が続き最終的には下血して夜間救急のお世話にもなり、下血している人を家に帰す訳には行かないので、速攻入院ということもありました。
夜中にパニック発作を起こし過呼吸で苦しんだ事もあります。
それでも父のお世話を私の代わりにしてくれる者はいません。
「もうダメだ~!!」と根を上げそうになった時、父を受け入れてくれるショート先が現れました。
そこのショートが名乗りをあげてくれなかったら、今の在宅介護は継続していなかったかもなのです。
つづく
認知症大御所三人衆です。
どれをとっても特効薬はありません。
悲しい事に認知症は完治する事のない、現時点では不治の病なのです。
父がレビーを宣告された時、今後の父の病状の経過として説明された事柄は、
発症から5~7年で寝たきり、7~10年で死に至ること。
発症してから10年以上生存した症例は無いと思われること。
ただしレビー小体病で死亡する事は無く、誤嚥性肺炎や心不全等による死亡であること。
病院や施設に入ったら父の余命は年単位ではなく、月単位の生存確率になると説明されました。
父はその時点で少なくとも発症してから4年以上経過していたのです。
医師の説明道理にそれから数ヶ月で父は立ち上がる事が出来なくなってしまいました。
けれど、
認知症治療は日々進化しています。
研究が進み、なんと言ってもDr.コウノが認知症治療術を進化させてくれています。
DLBと一言で言っても、レビーにはバリエーションがあるのです。
アルツハイマータイプ
パーキンソンタイプ
それとDr.コウノの造語である大声で叫ぶタイプのピックタイプです。
タイプ毎に薬の処方も変わってくるのです。
それがDr.コウノが作り上げた
認知症薬物療法マニュアル「コウノメソッド」なのです。
6年後にはアルツハイマーの予防ワクチンが実用化されるのだそうです。
それまではフェルガードが医師にとっての福音であり、患者によってはワクチン以上のものである可能性があるとまでDr.コウノはおっしゃっています。
父は4年前にレビーと診断されていましたが、治療法もなく神経内科の主治医は少しでも動けるようにとパーキンソン治療薬のネオドパゾール、グラマリールが処方されていました。
また、泌尿器科からは前立腺肥大の薬であるアビショットという薬が、とんでもない事態を引き起こしたのです。
起立性低血圧です。
最初に起立性低血圧が起きたのは、当時通っていたデイサービスで起きました。
父の生あくびに気がついてくれ、すぐに血圧を測ってくれたスタッフのおかげで失神する事は免れました。
その後、何度も失神を繰り返し、酷い時は呼吸が止まった事もあったのです。
おかげさまで?一日に二回も救急車に乗った事もありました。
もちろんデイサービスでも受け入れ困難ということで、父は外界との接触は往診、訪看、訪問入浴等の介護サービスだけとなってしまいました。
24時間、365日休み無く続く介護に私自身が心身崩壊の危機に見舞われたのも、ちょうどこの頃。
下痢が続き最終的には下血して夜間救急のお世話にもなり、下血している人を家に帰す訳には行かないので、速攻入院ということもありました。
夜中にパニック発作を起こし過呼吸で苦しんだ事もあります。
それでも父のお世話を私の代わりにしてくれる者はいません。
「もうダメだ~!!」と根を上げそうになった時、父を受け入れてくれるショート先が現れました。
そこのショートが名乗りをあげてくれなかったら、今の在宅介護は継続していなかったかもなのです。
つづく